KBTのブログ

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各駅停車の旅と長編小説

仕事などが多忙で鉄活動できない日々、夏の激安きっぷシーズンに向けて机上でプランを練るくらいです。

大型時刻表を購入して細かい数字とにらめっこ。今はネットの無料検索の方が簡単ではないの?……こういう時刻表にもメリットあります。

例えば、牛久駅→仙台駅まで普通列車(各駅停車)乗り継ぎで行きたい場合、検索では確かに一瞬で出ますが、出発時刻の都合で、途中の少しの区間だけ特急を使うと劇的に時間短縮!とか紙の時刻表では分かりやすい。
特に、いわき駅原ノ町駅において、日中3時間も普通列車の間隔が空き、こういう区間で特急に乗るのも手。


激安きっぷの18きっぷや北海道東日本パスでは数時間〜10時間も列車に乗る道中、こういう長編小説が旅のお供。読書会の課題図書の島崎藤村「夜明け前」なんて全4巻で特にいい。「木曽路は全て山の中……」に始まり、信州の旅が向いているなあ。

源義経は平泉の衣川の戦いで自害したのではない、北に逃げたという伝説があり、実際に史跡が多く、時間あったら見に行きたいもの。まあ、今夏は平泉まで旅して終わりそうですが。しかし、当時の舟で津軽海峡を渡り蝦夷にまで行けたかは大いに疑問。鎌倉時代から蝦夷との交流はあり、必ず本州と蝦夷が約20kmと最接近する龍飛崎・福島を経由ですが、当然ながら厳重な警備があり、逃亡の身ではここは通れなかったはず。となると津軽海峡の他の幅の広い数十km区間を小舟で渡らないと…。ましてや、モンゴルなどはあり得ないですなあ。たぶん青森県北部あたりで逃亡は終わったように思います。

義経のファンはとても多いですが、戊辰戦争における会津藩などと同様、反抗しても大きな勢力には勝てなくて負ける、それでも一生懸命※戦う事に、日本の多くの人がなぜか、どういうわけか引かれるのでしょう。同情ではなく何と表現か?

※一生懸命(元々は一所懸命)は1221年の承久の乱で生まれた言葉。懸命に戦って勝てば荘園(土地、所領)がもらえることから生まれた武士の言葉です。歴史は現代につながり、身近です!