KBTのブログ

茨城暮らしKBTの日常を書いてます。

大久野島の戦争遺跡ほか

昨日17日は休暇村を9時ちょうどにチェックアウト、周囲の毒ガス生産遺跡を色々と見学。休暇村(旧・国民休暇村)の建物がある場所も、元は工員の宿舎などがあった所。

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いかにもそれらしき遺構。毒ガスが入ったドラム缶を保管した所(のひとつ)。

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こちらは防空壕。幹部用で厚めにコンクリートの壁。2つの入口がありどちらからでも入れるようになっています。

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島のどこにでもアナウサギ!解毒処理がされたとはいえ、いまなお微量のヒ素が残存して人間はここの水を飲めないのに、野生の動物はたくましい!(休暇村の水は本土から船で輸送)

毒ガス資料館を見学。この島での毒ガス生産の詳細がよく分かりました。日中戦争で実際に使われ、戦後も工事の際など掘った際に多くの被害。また、毒ガスを生産した側も多数の被害者との事。
この島については私はアウシュヴィッツ平和博物館での毒ガス島企画展(今年春ころ)見るまでは全く知らなくて、それを見てから行きたくなった次第。企画展も、実際の訪問もよい勉強や経験となりました。

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こちらは発電所跡。いかにも戦前の建物。まあ、休暇村がある平和の島としては負の遺産ながら、男の冒険心をくすぐり中を探検したくなります!ディーゼル発電機8機あったそうで、いまはがらんどう。戦前末期には風船爆弾の穴が空いてないか等のチェックにも使用。

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発電所に通じるトンネルの壁にはこんなのが。日本語のものは読み取れませんが、英語のものは…
……permitted this area(またはlimited)と判別。戦後すぐから昭和23年まで連合軍が接収し武器弾薬庫とした跡と分かります。

このくらいで大久野島の戦争遺跡の見学を終了。10:30発のフェリーで島を離れましたが、じつは第一次大戦の頃の砲台などまだまだ遺跡があり、丸1日かけてもよいくらい。

忠海港に着き、呉線三原駅へですが、なんと踏切安全確認で17分もの遅れ!三原駅から9分接続で山陽新幹線こだま号で徳山駅、すぐに徳山港から客船で大津島という綿密なプランが崩れたあ…。このプランが唯一に一日で大久野島と大津島を訪問できる週休1日社会人向けの方法だったのです。時刻表をよく見て次善策を考え…。大津島滞在がわずか90分になってしまいますが、それでもなんとか訪問可能と分かりました。

三原駅から山陽新幹線徳山駅か、または三原駅ー広島駅は山陽本線+広島駅ー徳山駅だけ山陽新幹線どちらでもよくなり、三原駅に来た山陽本線の電車で決めよう!としました。115系なら乗るぞと。

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あら、珍しい6個クーラー車!1966年製のクハ115ー608が来ました。もちろん乗車。広島までボックス席の旅。(以下つづく)