KBTのブログ

茨城暮らしKBTの日常を書いてます。

平泉を観光

昨日10日は行きたかった平泉を6時間かけてたっぷり観光しました。

宿泊したホテル松の薫一関、伝統ある観光向けホテルではあるのですが、冷暖房が全館一括になっていて個別に調整きかず、一晩中寒かった!9日21時に着いた時点で冷房不要って感じでしたが東北の人は暑がり!?なお、駅弁を製造で、夜間はフロントで半額で販売していました。

部屋にあった百年茶。オリジナルらしい。発酵きいて台湾のプーアル茶みたい。温まった(笑)。

一ノ関駅からバスで中尊寺に直行。なんと国際興業バスにそっくりの塗装、そういえば岩手県交通国際興業グループですな。

バス停からきつい登り坂を25分、中尊寺金色堂到着。残念ながら撮影禁止で覆いから撮影。金色堂、5.5m四方が金ピカで屋根瓦までそれ、「極楽浄土を具体的に表した」そうですが豪華絢爛すぎてスゴい!藤原氏の栄華がしのばれます。

ちょっと休憩の後、40分ぐらい歩いて接待館(せつだてかん)跡へ。ここは人気なく誰も来ません。

かつて平泉の中心だった所で、酒宴が日々開かれたりした場所。一説には平安京なみの人口10万人もの大都市だったとか(これは誇張だと思いますが、5万人前後くらいは間違いなし)ほんと、北の都だったのですなあ。1189年に源頼朝により藤原氏は滅ぼされて以後は中尊寺などを残して衰退でしたが…。壇之浦で平氏も滅ぼした源氏も鎌倉幕府は開いたものの短命に終わり(後は北条氏の執権政治)、そして、鎌倉幕府は140年ほどで終焉とは、忙しい時代のような、切ないようなです。こういう歴史感、20代では全く感じなかったでしょう。50代になって訪問して良かったかも。

中尊寺バス停から巡回バスるんるん号で高舘義経堂(たかだてぎけいどう)へ。源義経の最期の地とされる所。

意外と小さく、ひっそりとあります。衣川の戦いの跡を望む高台に。合掌。
前にも書きましたが、優秀だったけどトップの源頼朝の立場を考えなかった義経。もう少し身を引いていれば……。現代でもよくある社長対副社長みたい、とても複雑な気持ちです。

(以下つづく)